この日は井波陽子氏と、加古川で打ち合わせを兼ねた会食であった。
改札に颯爽と登場した彼女は、中折れハットと、無地のストールに明るいチェック柄のストールを重ね、
ネイティヴ柄のスカートに、レインシューズという難しい着こなしを、当たり前のように着こなしていた。
これをオシャレに着るのは、かなりのお洒落レベルが必要だ。
私が着たら、農作業に出かけるインディアンに見えるに違いない。(つばのある帽子やストールには日除け効果しか期待していないからだ)
話は逸れたが、最近「生きる力」が枯渇していた自分にとって、もっともほど遠いジャンルがおしゃれをする事であった。
オシャレをする為には、自分と向き合わないといけないのだが、
そこから目を逸らし続けていたのだ。
彼女は、生きる力を体現してくれ、また現在の私の「引け目を感じること」「他の人と比べてできていないと感じること」類の悩みを、聡明な視点と例えで、たちどころに解決してくれた。
枯れて土がひび割れたプランターに、水が注がれた。
その言葉は、数日かけて陽となり肥料となり、じわり、と沁みてゆく。
春の芽吹きに合わせて、私の土も種を蒔く準備ができたようだった。
家に帰ると、2つの虹が架かっていた。